高梁・新見ロータリークラブがカンボジアへ (訪問記)【2000年:第3回訪問団】
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【はじめに】 平成12年2月8日(火)から11日(金)までの3泊4日の日程で、高梁ロータリークラブと新見ロータリークラブ、そして新見市民のボランティアら総勢9人が、カンボジア・タケオ州の「円山小学校」を訪問してきました。私(村上伸祐)も新見ロータリークラブの一員として同行しましたので、訪問記をご紹介します。 【これまでの経緯】 円山小学校はカンボジアの首都プノンペンから南へ約80キロ。日本のPKO(国連平和維持活動)で知られるベトナム国境にほど近いタケオ州の農村の村、プライカバス市コックカンチャップ村にあります。平成10年2月に開校、現在約320人の子供たちが学んでおり、村で一番の立派な建物として村民に愛されています。 この学校を建設したのは昨年6月、81歳で亡くなった高梁ロータリークラブの故・円山興一さん(成羽町)です。円山さんは戦時中、陸軍航空隊員として中国や東南アジア各地を転戦。占領下のカンボジアでは悪条件の中で飛行場の建設に当たり、その時カンボジアの人たちからとても優しくしてもらったことで、戦後もずっと「何か恩返しできることを」と考えていたと言います。 平成7年、内戦の収まったカンボジアを訪れた円山さんは、プノンペンで旅行会社を営む三浦悟さん(カンボジア名=ノン・コンパール)と知り合い、学校建設の橋渡し役を依頼。三浦さんと協力し、3年がかりで校舎2棟の建設を実現させたのです。円山さんはこの学校建設に、個人で約6万ドルの私財を投入。この活動を知った高梁ロータリークラブの会員らが学校開校後、貧困な家庭の子供たちへの「里親制度」を創設するなど、支援の輪を大きく広げてきたのです。 ![]() 三浦悟さん カンボジアへは日本からの直行便はありません。このため私と同じく新見ロータリークラブの平野真実会員、そしてボランティアの計4人は8日朝、関西国際空港からタイの首都バンコクへ入り、ここで1泊。翌9日、空路カンボジア北部のシェムリアプに飛び、アンコールワット遺跡を見学したあと、再び空路国内線でプノンペンに到着しました。また、高梁ロータリークラブからは西会長をはじめ中村幹事、仲田会員ら5人が1日遅れで日本を出発。私たちとは10日の朝、プノンペンのホテルで合流しました。 今回の訪問の大きな目的は、円山さんの遺族からの寄付金で学校へ新たに建設した、運動場や遊具などの完成式典への出席です。高梁の皆さんと合流した私たちは、三浦さんの案内でマイクロバスに乗り込みホテルを出発。プノンペンから車で走ること2時間あまり、道のりのなかばから舗装道路が途切れ、田園地帯の真ん中を土ぼこりの舞う悪路が続きます。カンボジアは今が乾期で、気温は30度以上。延々と続く田んぼは刈り取り後がほとんどですが、植えられたばかりの稲も所どころに見られます。 プライカバスに近づくと更に道は狭く、でこぼこの悪路。上下に大きく揺れるのでバスもゆっくり、ゆっくりと進みます。それでも高梁の皆さんの話しでは、以前よりかなり良くなったといいます。 ![]() 村の入り口の歓迎門 村の入り口には、日本語で「円山小学校」の文字が書かれたコンクリート製の歓迎門があり、ここから約2キロ進むと学校が見えてきました。日の丸とカンボジアの国旗を振る子供たちの姿がまず目に飛び込み、そして先生や村の人たちが総出で迎えてくれているのです。子供たちに加え、大人の数もほぼ同数の印象を受けました。 ![]() 日本とカンボジアの旗を振って出迎えてくれた子供たち 到着後まず、今回校碑前に併せて建立した円山さんの胸像の入魂式です。高さ約70センチの等身大の胸像の前に並び、僧侶がお経をあげる中、私たちは線香やお花を捧げて手を合わせ、円山さんの功績を偲びました。 ![]() 完成した円山さんの胸像 続いて行われたのが運動場の完成式。約100人は入れそうな大きなテントの中に通され、発電機を使った拡声設備を用いて式典が始まりました。村長のあいさつ、校長のお礼のことば、里子の子供代表のことばが続き、高梁の西会長が「これからも交流を深めましょう」とあいさつしました。 運動場といっても日本のイメージとはかなり違います。整地はされておらず、土の塊がごろごろした広場といった雰囲気ですが、それでも50メートル四方はありそうな広さです。 運動場は4区画に区切られ、カンボジアで人気のバレーボールのネットのほか滑り台、ブランコ、シーソーなどの遊具も揃えてあり、子供たちが大喜びで楽しんでいました。 ![]() 運動場完成式典であいさつする高梁ロータリークラブの西会長 ![]() ![]() 完成した運動場と遊具の滑り台やシーソーなどで歓声をあげて遊ぶ子供たち 【村民手料理の昼食会】 運動場の完成式が終わった午後2時ごろ、ちょっと遅めの昼食会が教室のひとつを使って始まりました。料理は子供たちのお母さんらが腕を振るったカンボジアの地元料理。現地では豪華料理でめったに食べられないという「ライギョ」のフライや煮物、スープなど盛りだくさんの内容です。日本を出るとき、火を通したもの以外は食べない方がいいと教わっていたことから、「おなかは大丈夫かな」と思いつつ、恐る恐る口に運びましたが、結構おいしくて口に合うものもありました。 昼食会ではみんなワイワイ、ガヤガヤ。先生や来賓の村長、警察官らも一緒。言葉は通じなくても身振り手振りで和やかなひと時が過ごせました。 ![]() 村人手作りの料理で楽しい昼食会 食事のあとは、いよいよ「里子」の子供たちとの交流会です。高梁からは、生徒と先生全員へポロシャツのプレゼントがあり、高梁と新見の里子一人ひとりの名前を呼び上げながら、持参した文房具などを手渡しました。新見の有志の方3人から預かった手紙や写真も無事届けることができました。 また、今回新見から私たちに同行してくれた市民ボランティアの谷本美由紀さんと上仲優子さんの2人が学校の先生方に、たくさんのサインペンや折り紙を贈呈。急きょ、この折り紙を使って「折り鶴講座」を行いました。少々子供たちには難しかったようですが、三浦さんに通訳をしてもらいながら、折り方を説明。子供たちも真剣な表情で取り組み、小さな子にも「作って、作って」とせがまれて大好評でした。 ![]() ![]() 高梁が持ち込んだ全員分のポロシャツ 里子一人ひとりにプレゼント贈呈 【涙の別れ】 約3時間の滞在時間もあっという間になくなり、私たちは午後4時過ぎ、学校を後にすることになりました。里子のお母さんの中には、涙ぐんでお礼を言う人もあり、私たちも子供たちとの別れにはちょっぴり目頭が熱くなりました。 帰る途中、学校に近い一人の里子の家を訪問。この地方のほとんどがそうであるように、高床式の住居に、家族みんなが一部屋で暮らし、ガスも水道も電気もない生活を営んでいる家庭でした。水は雨水を貯めて飲用にも使っているそうです。しかし学校でも家でも、子供たちの表情は明るく、目が輝いています。たとえ家は粗末で貧しくても、そこには家族の温もりがあり、有り余る物質文明に浸る豊かな国「日本」が忘れかけている人と物を大切にする心が息づいているように思えました。 【終わりに】 私たちはスケジュールの都合で、わずか1日だけ本当に駆け足で円山小学校を訪問、翌日には帰国した訳ですが、里子と会えたうれしさや村を挙げての歓迎に感激しただけでなく、日本社会がなくした何か「大切なもの」を見たような気がしました。大量消費文化の中で、何でも手に入る日本社会。先進国と呼ばれ、自ら侵略した東南アジアを蔑視する、おごり高ぶった大人とぜいたくざんまいの中で育ち、勉強に追われて思いやりの心が育たない今の日本の子供たち。カンボジアの子供たちの生き生きとした表情を見た私たちにとってが洗われたように感じたのは事実です。 里親制度を通して、金品を贈るだけの支援活動にはおのずから限界があるでしょうが、円山小学校の子供たちとの交流は末長く続けていく意義があると感じました。ロータリアンとして、21世紀に向かって支援のあり方も考えながら、この交流の輪が大きく広く、そしていつまでも続くことを願いつつ、また今回の訪問の旅に誘っていただいた高梁ロータリークラブの皆さんへの感謝を申し上げて、この訪問記のまとめといたします。 おわり |